経験したことを書くブログ

誰かのために生きることは、自分の人生を豊かにしていることにやっと気づいた

…子どもといてもあんまり楽しくないな〜
なんて思って過ごしていました。


喋れるようになってきて、
多少は可愛いという気持ちも増したと思っていたんですけど
それでもブロックを一緒にしたりしていると
すぐに飽きてました。


本も何回も「読んで〜」と言われると
気持ちを込めずにやっつけで読んでしまったり…


で、「他にもそういう気持ちの人はいないのかな」とネットで検索してみたら
これを見つけたんです。
ヤフー知恵袋ですね。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136013076


子供は可愛いのですが一緒にいても楽しくありません。

から始まる投稿者の質問…。


えー。これ私と同じじゃん(笑)


子どもと遊ぶより、ネットサーフィンしたり
自分の読みたい本を見てる方が楽しいんです私。

自分の自由時間を作るために、いかに早く寝かしつけするか。
そんなことばかり考えてる女なんです。

もちろん子どもはかわいい。
ママ、ママと来てくれると愛おしい気持ちになるし

栄養バランスだって考えた食事にするし

風邪をひけばとても心配になる。



でも…
それだけなんです。



私の母親のイメージってこう…
全てをなげうってでも子どもに尽くす、
聖母マリア様みたいな感じなんですよ。
で、そこまでの感情が自分にあるかと言われると


まぁ自由時間のために寝かしつけ頑張ってるくらいだし
もちろんないな…。って。


だから、自分はだめな母親だなと思い悩んでいた。
上辺だけ取り繕って子どもと過ごしても、
これでいいのか?という気持ちが拭えなかった。



そんなとき見つけた質問の回答が
私の胸に突き刺さった。
その回答はソーントンワイルダーの「わが町」からの引用で以下のようにあった

普通の何気ない日常の中にかけがえの無い大切な物があると思います。

ソーントン ワイルダーの「わが町」

物語の終盤、死者となって我が家を訪れたエミリーは、自分のお葬式を目撃します。そして、人生の中で一日だけ繰り返したい日があるなら、その日をもう一度訪れてよいと言われます。エミリーは自分が幸せだった一日を選ぼうとする。彼女と同じく死後の世界で過ごす義母は、ありふれた一日を選びなさいと忠告します。
「平凡な一日でもじゅうぶんすぎる」と言うのです。
エミリーは十二歳の誕生日に帰ってみることにした。朝ご飯ですよ、と大声で子供たちを呼ぶ母の声。
何もかもが普通。いつの時代も、どこの国でもありそうな、ありふれた日常。すでに死んでいるため、生きている人を観察する事しか出来ないエミリーは、キッチンに立つ母に懇願します。「ああ、母さん、少しでいいから私を見て。私に気づいて」
平凡な暮らしの素晴らしさがエミリーの胸をしめつける。彼女は「平凡な一日の中に、人生の素晴らしさがあったのね」。また、こうも言う。「生きているうちに気づく人はいないの?この大切な一分一秒を?」

ステラ アドラー 「魂の演技レッスン22]

これを読んで私はまさにその通りだと思いました。

自分が死ぬとき幸せな人生だったと思いたい、子どもの為に十分尽くしたと思いたい。そして、人生を十分生きたと思いたい。

それには目に見えるお金や名声なんかじゃなく、こういった日々の幸せな思い出こそ自分の魂を癒してくれるのではないかと思いました。

私は子供といる時間を楽しんでいます。

後悔しないように、時間を愛おしむような生き方をしたいと思います。

私が死んだ後も幸せな思い出が子供に残るように願いたい。

その一分一秒を大切にしてみては?と思いました。


私はこの回答を読んで涙が止まりませんでした。


「あっという間に大きくなっちゃうよ」
「大変なのは今だけだよ」

こんな言葉、何度聞いてきても心には刺さらなかったのに。
一見似たようなことを言っているこの回答に、なぜかぐっと来たんです。





ここで別問題ではあるんですが、
私は死恐怖症のきらいがあります。
死ぬことを考えると怖くなるというやつですね。
酷い人は外出できなくなったり、発作が起きたりするようです。

そこまでではないんですが、私も考えると眠れなくなったり、
動機がして気分が悪くなったりしていました。
で、これの解決策って
・考えても仕方ないから諦めろ
・人生を一生懸命生きろ
・誰かのために生きろ

とかが定番なんですよね。


死ぬのは怖いけど…今日明日死ぬとは思えないし
大体の人は全力で日々を生きるなんてできないんじゃない?と思いません…?(笑)

でも、なぜかこの死恐怖症と知恵袋の回答が私の中で重なったんです。

そして今日子どもと過ごす一日を終えてみて…

なんて尊い、愛おしい時間なのかと……
眠りにつく子どもの顔を見ながら、またまた涙が止まりませんでした。


もし私が死んだら
「今日に戻りたい」
と思えるくらい素敵な日だったんです。
特別なことがあったわけじゃありません。



昼過ぎまでジャージでいましたし(笑)



でも、こどものやることなす事
「一瞬一瞬かけがえのない時間だ。同じ時間は二度と戻らない」
と目に焼き付けるように過ごしたんです。


そうしたら…急に子どもの愛おしさが100倍増しくらいになりました。
いや、多分普通のお母さんのレベルになっただけだと思うので
ちょっと大げさに言ってます(笑)



「死んでも悔いの無いように一生懸命生きろ」
という意味がやっとわかった気がします。



別に大事を成し遂げなくてもいいんだよね。
一瞬一瞬を大切な時だと認識して過ごす。


そうすれば死んだあと
「一日だけ生きていた頃に戻れるよ」
と言われたときに
「戻りたい候補日」が増えると思うんです。

戻りたい候補日が増えるって
人生を全うしたことに繋がっていくんじゃないかな。


このことに気づかず
子どもよりネットサーフィンが好きな私だったら……
多分死んだときに戻りたい日は無いと思う。


死ぬのが怖い人に対して
「誰かのために生きろ」って言うのはこういうことだったのかな?

自分のために生きていても、戻りたい候補日がたくさんあるなら
もちろんいいと思うんだよね。


けど少なくとも私は違った…。


これからもこのことを心に留めて育児していきたい。
気づくの遅かったかもしれないけど、気づかないより良かったと思ってる。
挫けたときはこのときの気持ちにもどりたい。